神社名 | 八天神社 |
鎮座地 | 佐賀県嬉野市塩田町大字谷所乙766 |
由緒等 |
肥前小富士唐泉山鎮座 八天神社由緒沿革 御祭神 火之迦具突智大神 建速須佐之男大神 火神の御神系の神神 肥前の国の中心なる藤津の里、肥前小富士と稱る唐泉山(410メートル)は、太古の古火ノ山、噴火山であり、その山型誠に麗しく神霊鎮まります御山として、山頂に社を営み、神霊の御加護を奉謝し奉った飛鳥時代の中期、白雉四年(西暦653年)を以って、仮に御鎮座の年と定められました。 鎌倉時代の初期、貞応元年(西暦1222年)山城の国(京都)山崎の産、田村良実は小城晴気に下向し、唐泉山の社を中興し、新たに此の地へ下宮を奉斎して唐泉権現・八天狗社として上宮(唐泉山の山頂)下宮の社務を司り、以来その子孫が本光坊と称して、上宮・下宮の宮司家として御奉仕を致しております。 鎌倉時代より江戸時代、後藤氏・千葉氏・松浦氏を始め肥前国一円の国主・領主・諸氏藩侯・鍋島家に至る迄、諸氏を挙げ、火の神八天狗社を尊崇し、社費の支弁をなされ、又各家より寄進されし広大な神領地を保有し、肥前国一円の人々に火の神様、火防の神様として崇敬され、それぞれの里ごとに火の神様・八天狗神の御分霊石祠及び社がまつられて、火の神様への奉謝のまつりが行われてきました。 江戸時代の前期頃より佐嘉鍋島各家の御屋鋪を始め江戸藩邸へ御分霊社の奉斎がなされて以来、江戸町民の人々に毎月一日・十五日と藩邸内の社へ参拝を許し、火災鎮除・国家安泰・火の用心・家内安全の祈念がなされ、町内会毎に火の神まつり講社の結成が画られて、佐嘉鍋島各家の御屋鋪周辺町内の火災事故が非常に少なくなり、この事柄が江戸中に広まり、江戸中期頃より後記にかけ、幕府老中を始め、諸国大名旗本等各家も鍋島家を通じて、肥前の火の神・火防の神八天狗神の御分霊、御勧請がなされ、火の神の御護符数千部を藩役所、及び、商人を介して毎月江戸へ送達されておりました。(後略) (案内板より) |
メモ |
鹿島から嬉野温泉へ抜ける山間の県道41号線沿いに鎮座する火山信仰の神社です。 鳥居や社殿が独特の見どころの多い神社で、石造りの参道橋は佐賀県では非常に珍しいものです。 「八天狗社」として親しまれ、旧肥前国の多くの神社の片隅には八天狗社の石祠、石碑が遺され、かつての信仰の深さをうかがい知ることが出来ます。 |
地図 |