神社名 稲主神社
鎮座地 佐賀県武雄市北方町大字志久3281
由緒等 稲主神社御由緒(略)
御祭神 倉稲魂命 木之元氏霊神

木之元氏霊神は京都御所守護の要職に在りし源頼茂公にして鎌倉幕府三代将軍源実朝害せらるるや頼茂将軍職を窺うものなりと讒言する者あり後鳥羽上皇官兵をして攻め給う頼茂公漸くして逃れ肥前国北方郷追分の里夕路木谷に匿れ姓を木元夕路木と改む。
偶々紅稲(俗にトウボシと云う)九十三把の盗難あり代官等木元氏を疑い詰問す、木元氏頻りに弁すれども聞かれず遂に幼児七人の腹を剖き無実を立証す。之を検すれば溝蝦と茱萸の混ぜるのみ最後に自らも切腹して果てられる。
其の後郷内災厄頻りに起り五穀実らず住民難渋世人木元氏の祟となす、四条天皇嘉禎元年木元父子の霊を倉稲魂命に配し稲主大明神と称え祀るべしとの勅命あり依って現在地に神殿を建立し鎮祭す爾来災息み五穀豊饒せりと云う九月一日(二百十日)の風日には遠近よりの参拝者雲集し風除け五穀豊饒の祈願祭を奉仕し御神徳を戴くこと顕著なり、十月十九日は神祇管領(吉田神道家)より免許を受けたる三本笠鉾、七囃浮立を奉納(浮立保存会)し御神慮を和め厳かなる供日祭を奉仕す。
当神社は虫除け、五穀豊饒、商売繁昌の御霊験あらたかなる神様として御鎮座以来七百有余年の間広く厚く尊崇せられ元郷社の社格を有せられる御社なり。
(案内板より)
メモ 旧郷社。
佐賀県を横断する国道34号線沿いに鎮座。稲荷神と地元の木元氏の御霊を祀った地元密着型の神社です。
本殿裏手の稲荷神社には肥前狛犬が一対あります。
地図

一の鳥居

神橋

参道

二の鳥居

手水舎

神楽殿

神牛

神馬

拝殿前狛犬吽形

拝殿前狛犬阿形

拝殿

本殿

社殿全景

稲荷神社

稲荷神社の肥前狛犬吽形

稲荷神社の肥前狛犬阿形

稲荷神社の祠

稲荷神社の祠

巨樹

巨樹

天照大神

天照大神

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