神社名 | 荒穂神社 |
鎮座地 | 佐賀県三養基郡基山町宮浦2050 |
由緒等 |
荒穂神社由緒 祭神 瓊々杵尊 五十猛命 他六社 当社は「日本三代実録」貞観二年(八六〇)の項に荒穂天神の名で神階昇叙の記事がみえ、延喜五年(九二七)撰進の「延喜式」神名帳に社名がみえる式内社(肥前国では四社)で由緒が古く格式の高い古社である。 藩政時代は基肄郡上郷総社・明治六年郷社昭和三年県社・戦前は、基山村(町)の産土神社であった。 祭神は古来諸説があるが民俗学上の原初は基肄山山頂の玉々石を盤座として農耕に恵みを与え、豊穣をもたらす、自然神・産霊神であると考えられる。貞享元年(一六八四)の「荒穂神社縁起」には、中央に荒穂大明神左一に下鴨大神、左二に八幡大神、右一に宝満大神、右二に春日大明神、右三に住吉大明神の六社としている。 創建は同縁起に人皇第三十七代孝徳天皇の御代(六四五~六五四)基肄国造物部金連の後裔金村臣によるとされている。社殿は最初基山山頂にあったが、戦国の兵火にかかって転々とし、当地に造営されたのは貞享二年である。現社殿(流れ造り)の拝殿は文政二年(一八一九)神殿・中殿は安政五年(一八五八)の改建になる。神課は十二人であった。 (案内板より) |
メモ |
旧縣社で式内社。 瓊々杵尊と五十猛命を祀る神社で、中々に古めかしい重厚な神社です。 |
地図 |