神社名 西乃宮八幡宮
鎮座地 佐賀県三養基郡みやき町大字西島1198
由緒等 御祭神
 誉田別命(応神天皇)
 神功皇后
 比売神

由来
「八幡神社御由緒志」によると、人皇六十六代一条院の御宇長徳二年二月中の卯の日に御遷座さると言い伝え来つると記され現在の二月二十八日おかいさんの祭典は往古卯日祭称へ古実の式例にも大祭として斎行され給う。
人皇七十七代後白河上皇の御宇、京都吉田村に御鎮座し吉田八幡宮と奉称給いし八幡大神が保元三年京都大乱の節、社中四分五裂なりし中、西国の住大國隼人助と申す者にご信託告給う、隼人助肥前国佐嘉川上の都渡城に宮柱太敷立て奉斎し給うが、その後文治年中の戦役により此の地に奉安置さえっる。武門勢力の時代と共に武将の崇敬厚く樹影年間地頭職鎌倉権五郎景政により社殿が改造され、祭祀が再興されり。
足利尊氏鎮西没落の砌り、当宮に日夕参詣し戦勝祈願し尊氏の世になるや当宮に社領の寄進あり御神幸祭礼等奉仕されるに至れり。
而して大宰少貳資之及その一族の敬事せることは古文書や鳥居の銘文に見受けられる。
その後非全国が鍋島藩政になるや旧三根郡(三川、南茂安、上峰、江口)の宗祀とし古式例祭に則り祭祀を行い、社費祭費一切の御神納を受ける。
維新改革により明治六年郷社に列せられ、古より旧三根郡の宗社とし西の宮八幡宮の通称にて崇敬を受け奉れり。
メモ 旧郷社。足利尊氏ゆかりの神社です。
地図

社頭

社号標

一の鳥居

参道

二の鳥居

神橋

神門

神門前の狛犬吽形

神門前の狛犬阿形

境内

手水舎

拝殿

拝殿

本殿

神馬

稲荷社

小字神社鳥居

小字神社

小字神社の筑後型狛犬吽形

小字神社の筑後型狛犬阿形

高良玉垂神社

大國隼人助を祀る祖霊社鳥居

大國隼人助を祀る祖霊社

天満宮

石仏

若宮大明神

石仏

石仏

末社など

西参道鳥居

TOPへ