神社名 | 鏡神社 |
鎮座地 | 佐賀県唐津市鏡1827 |
由緒等 |
由緒記 神社名 鏡神社(旧県社)旧称、鏡宮、松浦宮、鏡尊廟、松浦廟宮、板櫃社 祭神 一の宮 息長足姫命(神功皇后) 二の宮 大宰少弐藤原廣嗣朝臣 創立 一の宮 仲哀天皇御宇(西暦200年頃)、二の宮 天平十七年(西暦745年)、楊柳観音菩薩(国指定重要文化財・明徳二年) 由緒 一の宮、神功皇后三韓征伐の御時、松浦郡に至り、七面山(今鏡山)山頂に於て宝鏡を捧げて天神地祇を祭り、異国降伏を祈らせ給いしが、その後、宝鏡霊光を発す。よって、御凱旋の際、その宝鏡を採り、自らに生霊をこめて、この社に鎮め給う。 二の宮、廣嗣朝臣僧玄昉等の奸人を除かんとして、兵を挙げしが、事成らずして松浦郡に薨ず。その後霊威しばしば顕れ災害頻りに起るをもって、肥前の国守吉備真備勅を請うて、鏡並びに無夗寺(今浜玉町大村神社)両所に廟を建立し、公の霊をば祭れり。時に天平勝宝二年、公の宮創立の肇めなり。境内八町四方輪奐を極め、従って官庶の敬崇浅からず。史籍歌書に載せられたるは少なからず。 中世草野大宮司と称し、武威を近郷に張り、所謂草野氏をなせり。草野氏滅亡と共に、社運衰退したりといえども、唐津藩主、初代寺澤氏以来、歴代祈願社として尊崇せり。惜しむらくは明和七年一の宮炎上し、宝物旧記灰燼に帰し、詳細を知る由もなし。 (案内板より) |
メモ |
旧縣社。神功皇后ゆかりの鏡山麓に鎮座する古社。 一の宮と二の宮に分かれていて、それぞれ神功皇后と藤原広嗣を祀っています。 「藤原広嗣の乱」で有名な広嗣を祀る神社は結構珍しいのではないかと思います。 |
地図 |