神社名 | 羽野天満宮 |
鎮座地 | 大分県日田市三和306 |
由緒等 |
菅原道真公が太宰府で逝去して、五十年忌にあたる天暦六年(西暦952)菅公の甥菅原貞光氏が太宰府天満宮と安楽寺に参詣のため、京都から下向太宰府天満宮に参詣の後、宇佐八幡宮に向かう途中で日田の草場(現在清岸寺)に一泊。その夜の夢に、伯父道真公が現れて、教えるのに、この村から東北の方に小さい丘があって、きれいな流れのほとりに、二本の梅の木がある。厳かな感じのするところで、神が座するにふさわしい。そなたは、わたしの像を祀るように。とのこと、明けるのを待って、探してみると、果たしてその通りの所があった。そこで道真公より伝わった、法華経と地蔵経とを御神体にして、社を建てて奉った。これが羽野天満宮の始まりとされる。 時代は移って 江戸初期の明暦元年(西暦1655年)頃、幕府旗本、小川藤左衛門正久が養父藤左衛門正長の後を嗣いで、日田代官に任ぜられた。船で赴任の途次、周防灘のあたりで、一夜台風のために船が沈むばかりとなった、(小川氏は本姓菅原で道真公の子孫だった)藤左衛門正久は、はるかに九州の天満宮に、波浪を静めて、無事に着岸せしめ給えと祈った。すると、不思議にも空中に声があって、案ずるな。そなたはわたしが護って、きっと安全に送り届けて遣わす。わたしはそなたの赴く、日田の羽野に居る、着任致したら、かならず訪うて参れ。と云ったかと思うと暗い波間に菅公の紋、梅鉢をつけた提灯がぽっかりと浮かび出て、いかにも、こちらへと指し招いているように、まさに天神のご加護と、その導きによって船は無事九州へ到ることができた。 代官として日田に臨んだ正久は、直ちに羽野天満宮に詣で社殿を新しく建造して、厚く道真公の威徳に報じた、と伝えられている。 (案内板より) |
メモ |
旧郷社。 九州自動車道の日田I.C.近くに鎮座する古社。鷽替え神事で有名な日田の天神様。 |
地図 |