神社名 氷川神社
鎮座地 大分県杵築市山香町山浦
由緒等 性の神 氷川宮由緒

 祭神は須佐之男命 大己貴命 稲田姫命 の三神を祀る
創祀は孝昭天皇(紀元前75-392)の御代勅願によって出雲国杵築大社を氷の川上より迎え遷し祀るという また「一説には日本武尊東征のとき勧請されたともいわれている」 古来より武将の尊崇厚く武運長久の守護の神と言われている
 氷川の名は須佐之男命 出雲の国簸び川の上流にて八岐大蛇を斬りたまいし伝説に基づくといわれている 簸川を氷川とも呼んでいたものであろう
 山香「ゴケ」の誕生 天正六年九月大友宗麟は九州平定の野望を遂げんと四万二千の大軍を率いて日向の耳川にて島津軍と戦い遂に破れた この戦いで山香郷から出陣した多くの将兵もことごとく討死したのでその妻たちは後家となった この人達は氷川の宮に程近い建徳寺(顕徳)に集まり尼僧となって禁男の日日を送り 亡き夫の霊に誓った その印として夫婦の土人形を作り氷川の宮の神前に供え孤独の心を慰めていたという
 霊験あらたかと伝えられているが定かではない 女人が多く参詣して不思議に難病が治ることからいつしか女人の腰から下の病の祈願と変り崇められるようになり夫婦一対の人形が供えられるようになった。
 この人形については豊前四日市町玩具愛好者財津兵助翁によれば同家で作られた男女一対の人形の納め先は山浦村氷川様であると明言されたという
 その後難病に霊験あらたかなことを伝え聞いて穴門宮(氷川宮)様を信仰する人々は年と共に増えた 時の流れと共に参詣者の消長はあったといわれるが科学進歩の現代に於いても 女人の腰から下の病の治癒 縁結び 子授け 夜尿症 水子供養のため 近郊は勿論遠く北九州関門方面からの参詣が年々増えている しかし果して何時誰が参詣するのか不明であるが年間奉納されている賽銭を〆めてみるとその多額に上るのに参詣者の数が推測できる
(案内板より)
メモ 性病に効くとして密かに信仰を集める山奥の極小神社。
九州地区には極めて珍しい氷川神社という名前の付いた神社。その名称からも分かる通り、もともとは須佐之男命を主祭神とする神社です。
地図

参道

神社遠景

鳥居

拝殿

本殿

参道脇にあった石仏など

石仏

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