神社名 | 若宮八幡社 |
鎮座地 | 大分県杵築市宮司336 |
由緒等 |
公式サイト 御祭神 大鷦鷯命 菟道稚郎子 宇礼姫 久礼姫 人皇第六五代花山天皇の御宇、寛和元年(西暦985年)、従五位下紀兼貞朝臣、勅宣を通じて伝灯大法師安宗と共に、京都石清水八幡宮四所の御尊像を奉護、この豊後速見津郡八坂郷に下向。柏島(現在の錦江橋の上流・浜田社)に鎮座し祀る。 元来、この八坂郷は宇佐神宮の神領に属し、石清水八幡宮の京都御鎮座と共に、貞観の頃より石清水八幡宮の神領となっていたが、何分にも土地は遠隔で海路防風とか海賊等の災いもしばしばで、御貢物の輸送も意に任せず、畏くも宇多天皇第九皇子一品式部卿敦実親王は、この途中の平安無事と神領地の五穀豊饒とを熱願せられ、御手ずから四尊像を白檀木に奉彫、延喜十四年(西暦914年)八月、仁和寺にて開眼供養、これを石清水八幡宮の神殿に奉安せられました。当社は即ちこの四所の御尊像を奉遷申し上げたもので、今なお壱千有余年の御神威そのままに御社殿の奥深く鎮まりまして居られるのであります。 その後、天喜五年(西暦1057年)三月生地村岳に、承安三年(西暦1173年)九月中村に、そして嘉暦元年(西暦1326年)十一月現在地(金鷹山)に御遷座申し上げ、明治六年郷社に、大正十年県社に御列格になりました。累代藩侯の氏神として尊崇篤かったことは申すまでもなく、地方郷民の鎮守様として愈々御神威のいやちこに亘らせられることを拝し奉るのであります。 (由緒書より) |
メモ | 旧縣社。 宇佐ではなく石清水八幡宮からの勧請。大分県中部に特徴的な拝殿瓦屋根の装飾が見事です。 |
地図 |