神社名 | 松栄神社 |
鎮座地 | 大分県大分市荷揚町4-20 |
由緒等 |
祭神は松平近正公、松平一生公。 松栄神社沿革 当神社は慶長末期、上州(現在群馬県)水沼村に松平家(徳川家康公生家)の祭神近正八幡宮として創祀され、戦国時代混乱治世神、疫病災厄鎮護の神として国内に名高く国民の信頼顕著なりしため、享保十四年(一七二九年)豊後府内藩主直参の宮として城内山里の邸この土地に祭祀され、寛政十一年神託により松栄山(現護国神社社地)に遷宮、松栄神社と称されたがその後、日田広瀬久兵衛の助言もあり、藩財政の確立成り、幕府の信頼も厚く国内の信仰いよいよ広まり明治十八年住民の信望に応え、市内堀川町奉行所跡地に新宮建立遷宮す。 更に明治三十三年現在地に復元し今日に至るが、その後幾多の災害や昭和二十年の大戦災も奇跡的に免れ全市民の信仰益々厚く祭典も数日に渉り盛大に行われたが、終戦後世相の変化により荒廃極に達したので、総和四十三年全市民の協賛により明治百年記念改修が行われ面目を一新し、時恰も新産都進行の途上の市発展守護の神とし、市民のシンボルとなり、加えて疫病免除産業繁栄の神徳を祈る参拝者は日を追って増加しつつある。 (案内板より) |
メモ | 大分城趾に鎮座します。 |
地図 |