神社名 | 早吸日女神社 |
鎮座地 | 大分県大分市佐賀関3329 |
由緒等 | 早吸日女神社 由緒略記 祭神 八十枉津日神 大直日神 底筒男神 中筒男神 表筒男神 大地海原諸神 創祀 皇暦紀元前七年(西暦紀元前六六七年) 社格 式内社、旧県社 由緒 当社は人皇初代神武天皇東遷の途次、海女、黒砂 真砂の二神が速吸の瀬戸の海底から大蛸が守護してきた神剣を取り上げて天皇に奉献し、その神剣を御神体として天皇御自ら古宮の地に奉斎し建国の大請願をたてられたのが創祀である。 大宝元年(七〇一年)、神慮によって現在の地に遷座、延長五年(九七二年)、朝廷、延喜式を制定するに当り式内社に列せられ、爾来、諸災消除。厄除開運の神として皇室を始め諸大名の崇敬厚く、遠近の諸人も伊勢神宮になぞえて関大神宮又お関様(関権現)とも称し、伊勢神宮に参拝することを参宮、当社に参詣することを半参宮ととなえ、多くの信仰をあつめて今日に及ぶ。 慶長五年(一六〇〇年)兵火により社殿、宝物一切を焼失したが、慶長七年、加藤清正候当地を領するに当り社殿を再建、後の藩主細川候の再建修築に係る建造物多数現存、昭和四十八年社殿修築、参集殿新築工事竣工により神社の荘厳さを更に加える。 平成十六年三月、本殿、総門、及び当社社家(小野家住宅)の三件、大分県指定有形文化財となる。 (案内板より) |
メモ | 佐賀関に鎮座する式内社で旧縣社。佐賀関は大分県にありながら江戸時代は肥後藩(熊本県)の飛び地であったため、細川家や加藤清正とゆかりのある神社です。 大分県屈指の古社であり、眷属がタコという珍しい神社。そのため、社職の人はタコを絶対に口にしないそうです。 また、社殿の千木の造りが珍しく、瓦にも様々な装飾が施してあり、非常に見応えのある神社です。 |
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