神社名 小松神社
鎮座地 大分県国東市国東町見地
由緒等 祭神、小松内大臣平重盛、素盞鳴尊ほか十七柱、社記によれば寿永二年(1183年)平家壇ノ浦に滅亡の時、平宗盛、諸姫嬪とともに帝を奉じて間道から小松(今の尾崎)の山中に退き、鎮守社に重盛公の霊を併祀し社号を小松神社とした。
平貞能が都落ちの時、重盛公の墓からその骨を収めて西下と史上にあるから再埋骨したのがこの尾崎であろう。
一月一日裏白の葉で握り飯を巻いて供える古例がある。これは平家滅亡を聞き大いに悲嘆歎、歳旦餅つきもできず握り飯を餅の形にして供えたことに始まるという。
明治三十四年郷社、尾崎の墓塔十二基。
(案内板)
メモ 旧郷社。
国東半島の東側の山地、県道650号線沿いに鎮座する神社で、平家伝説縁の神社です。国東半島の神社に特徴的な横幅の広い拝殿、立派な楼門が見どころです。
地図

一の鳥居

参道

二の鳥居

三の鳥居

参道

四の鳥居

楼門

楼門

参道

手水鉢と手水舎

境内

狛犬吽形

狛犬阿形

拝殿

本殿

境内社

境内社

境内社狛犬

境内社狛犬

境内社

西参道一の鳥居

参道

参道

西参道二の鳥居

東参道鳥居

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