神社名 | 武多都社 |
鎮座地 | 大分県国東市国見町櫛来 |
由緒等 |
祭神 伊弉諾命 天照大御神 正哉吾勝々速日天之忍穂耳命 天津日高彦穂能邇々杵命 天津日高彦火々出見命 天津日高彦瀲武鵜葺草葺不合命 由緒 人皇四十四代元正天皇の御宇、養老二年(718)紀州熊野神宮の御分霊を勧請し、竹田津村小川原、室の地に着御、神託に依りて、翌年鬼篭村上老子立石(元宮)の地に鎮座す。 神威の高き為、周防灘を航行する船舶は大前を通過するに当り、帆を一カ所三尺下げて進む時は無事に航行し得るが、若し敬意を表すのを忘れて行き過ぎんとするや忽ち神怒にふれて転覆の難を蒙る、又、海上風浪の難に遭へる船舶は當社に祈願を願いすてば忽ち神助を蒙りて其の難を免れると、是の神異と参詣の不便とに依りて人皇第六十二代村上天皇の御宇、天徳三年(959)峯つづきの現在地に遷座し奉る、始め熊野神宮の分霊にましますを以て、熊野神社と称へ奉る。 中古祭神を六柱の大神と宣ひ定め、六所大権現と称へ奉る、後年権現号を解き、現在の武多都社と改称し奉る、武多都は武士の多く寄り来る良き港の事で(港のことを津と言う)後に竹田津と地名を帰る武多都社は武士の崇敬厚く国東浦辺の総鎮守の守護神で、武士軍法の研究地なりと言う明治の初め郷社に列せられる。 (案内板より) |
メモ |
旧郷社。熊野からの勧請。 竹田津港の総鎮守で、非常に静かな神社です。 この地に特徴的な横に長い拝殿が特徴的です。 |
地図 |