神社名 椎根津彦神社(椎宮)
鎮座地 大分県宇佐市宇佐高田医師会病院内
由緒等 宇佐神宮末社 椎根津彦神社御由緒

一、祭神  椎根津彦命
一、御神徳 開運招福 交通安全 海上安全 無病息災
一、由緒
椎宮神社とも言われ、「日本書紀」によれば紀元前六六七年十月五日神武天皇(神日本磐余彦命)が御年四十五歳の時御東征を決意され、日向を出発し潮流の激しい豊予海峡の速吸門まで来たときに、国つ神の漁師珍彦が現れ神武天皇に水先案内を申し出た。天皇は椎の棹を珍彦に授けて無事に難所を渡ることができたので、椎根津彦の姓を授けた。天皇一行はこの椎宮神社付近に上陸したと伝えられ、後にこの地に椎根津彦を祀った。
 天皇一行を宇佐国造の祖である菟狭津彦・菟狭津媛が宇佐川の川上に一柱騰宮の仮宮(宇佐神宮の呉橋南岸)を建て歓待した。椎根津彦に先導され宇佐を発たれた皇軍は十一月筑紫の岡水門、安芸国の埃宮、吉備の国高島を経て浪速国に上陸し、河内国まで進んだが長髄彦の激しい抵抗に遭い再び海路より熊野に上陸し、八咫烏に導かれて大和にお着きになり橿原宮で初代天皇に即位された。神武天皇は椎根津彦を倭の国造に任じた。
 和気地区には神武天皇を始め兄の五瀬命、父親の鵜草葺不合命を祀る柁鼻神社があり、宇佐高校の正門下の明神木には菟狭津彦を祀る祠がある。

(由緒書より)
メモ 宇佐神宮の境外末社で、神武天皇ゆかりの古社。社殿はなく、往時の姿をとどめている神社です。
宇佐神宮より東側、宇佐高田医師会病院の敷地内に鎮座しています。
地図

全景

社号標

椎の木

手水舎

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