神社名 | 廣山神社 |
鎮座地 | 大分県宇佐市上庄111 |
由緒等 |
郷社 廣山神社の由来 平安時代元慶三年(八七九)菟狭津彦命の後裔、安心院宇和麻呂の次男田部姓廣津継就が分家、廣山荘を立券しこの地に移り仁和三年三月(八八七)宇佐神宮を勧請、廣山荘八ヵ村の宗廟として上時枝村糸口山に創建され廣山神社と号した。社領は八十町歩、神徳高く人々の崇敬を大いに集めたが戦国の世となり天正十年十月(一五八二)大友義鎮による戦禍、続いて秀吉島津討伐時、時枝滞陣中黒田孝高による社領の没収等の悲運にあう等苦難の時代もあったが江戸時代宝永三年の頃(一七〇六)上時枝、上庄、下庄の三ヵ村で現在地に再建された。 明治四年神道は国教とされ同年七月、国より郷社に列せられるに及び近隣の村々十八ヵ村の鎮守の社となり、営造物も整備され終戦まで往時をしのぐ繁栄を見るに至った。 創建以来一千有余年、故田部姓廣津幸生祠官は五十七代目に当り、幾多の盛衰を経て来ているが氏子の厚い信仰により守護され今日に及んでいる。 当社境内地には摂社二社、末社四祠併せ奉祀されている。 本社 祭神 比売大神(宇佐人の先祖) 誉田別命(応神天皇) 息長帯比女命(神功皇后) (案内板より) |
メモ | 旧郷社。 宇佐国造であった宇佐氏の子孫が創建した神社で、伊呂波川近くに鎮座します。 本殿の左右に境内社を従える形式は宇佐神宮を模したものと思われ、宇佐、豊後高田周辺の中規模な神社によく見られます。 |
地図 |