神社名 | 伊美別宮社 |
鎮座地 | 大分県国東市国見町伊美 |
由緒等 |
一、祭神 品陀和気命 (應神天皇) 帯中日子命 (仲哀天皇) 息長帯比売命(神功皇后) 二、境内社 金毘羅社 宮重社 今熊社 伊美崎社 三、創建の起源 当別宮社は元官幣大社石清水八幡宮の別宮であり、前県社である 人皇第五十八代光孝天皇の御宇(仁和二年)領家小深田民部大輔盛勝は領主片見貞信の命を受け山城国男山石清水八幡宮の御分霊を奉持し随神司官藤原朝臣桐畑左京大輔盛重と共に周防の国祝島を経て八月六日伊美浦に着御暫時野田村の仮宮に安置 その年十月十四日聖地入江島に社殿を造営し伊美郷鎮護の守護神として奉祀した (案内板より) 陰陽神由来記 人皇第五十八代光孝天皇仁和二年山城の国男山石清水八幡宮の御分霊をこの地に勧請の砌、随伴した随神司官藤原朝臣桐畑左京大輔盛重は、爾来この地に在住し神明奉仕の傍、特に医術に長じ庶民の難病を療した功績は多大で、没後、別宮社創祀功労神として、今熊宮に奉仕されてより 縁結び、子授け、安産、諸病平癒の神として広く崇敬され、女性は頭髪、男性は男根を彫刻して、献納祈願することになった。現陰陽の神は献納男根の最大なもので、台石が女陰となっている。 願主は伊美随一の名石工に命じ現物の模写等多数の秘話や逸話を残して完成された逸物であるが、一時は風紀紊乱の謗りを受けて、土中埋没や海中投棄等されたが、その行為者は悉く局部の激痛や高熱に苦悶する等の神罰に遭い、恐懼その非を悔いて此所に復座奉鎮したものである。 (案内板より) |
メモ | 旧縣社。 伊美港そばに鎮座する神社で、陰陽神や狛犬など見どころが多いです。 京都の石清水八幡宮の別宮で、京都から御分霊をお迎えした帰路、山口県の祝島に漂着、島民のもてなしがあって伊美に帰着後、祝島へ御礼の神舞を奉納する神事が始まった。この「神舞」は山口県の指定無形文化財となっています。 |
地図 |