神社名 三女神社
鎮座地 大分県宇佐市安心院町下毛
由緒等 三女神社由緒
神代の昔高天原に於て天照大神は素盞鳴尊と盟約の結果
 田心姫命  一の御殿
 湍津姫命  二の御殿
 市杵島姫命 三の御殿

の三女神を生み給い。葦原の中国の宇佐嶋に降し給うた宇佐嶋とはこの地宇佐郡安心院邑にして豪族筑紫君等がこれを祀る。爾来一貫してこの地に鎮座して今日に至ると伝えられる。境域には現にこれに関する幾多の史蹟と伝説とを有している。江戸時代に至り島原藩主累代これを崇敬し社領十石を奉納し或は矢壺提灯ならびに釣燈籠等を奉納した。崇敬者は宇佐郡の一帯に及び江戸時代には島原藩山蔵組大庄屋配下の二十二ヵ村の氏神として崇敬せられ、その内鎮座地の関係村の字下市・木裳・新原・原が常時奉仕の責任にあたり現在に至っている。産業振興、家内安全、交通安全の神として霊験あらたにして古今を通じ住民の厚い信仰をあつめている。
(案内板より)
メモ 旧郷社
宗像三女神が降臨したという三柱石があります。
地図

一の鳥居

一の鳥居神額、何故か「二女神社」となってます。

参道

二の鳥居

二の鳥居神額

三の鳥居

手水舎

神門

拝殿

本殿

社殿全景

貴船神社

貴船神社狛犬

貴船神社狛犬

英霊社鳥居

英霊社

境内の狛犬阿形

境内の狛犬吽形

三柱石

三柱石

皮籠石

参道上の末社

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