神社名 |
泉神社 |
鎮座地 |
大分県宇佐市辛島1 |
由緒等 |
酒井泉社(泉神社)
社殿は、大化4年(649)に建立され、天平宝字3年(763)に霊泉で酒を造って八幡神に献じ、その残滴を注いだところから泉が湧き出たので「酒井泉社」と称するようになったと伝えられている。その後、奈良・平安の頃八幡神の新しい御神体は、宇佐宮と深いご縁がある「八箇社」を巡ってから、本殿に安置されるという「行幸会」が行われていたが、その由緒ある八箇社の中の1社として重要な役割を持った「酒井泉社」であった。
(案内板より) |
メモ |
旧郷社。 宇佐行幸会八社(宇佐八ヶ社)のうちの一社です。
豪族辛島氏の本拠地に鎮座する神社。
小さいお宮ですが、見どころが多いです。
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地図 |
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社頭
狛犬吽形
狛犬阿形
境内
拝殿
拝殿神額
拝殿と御神木
幣殿と本殿
鐘楼基壇跡
「宇佐八幡宮の「神仏習合」の証しとして、神社の境内に寺院と同じ鐘楼が建てられていたという貴重な文化財跡であるが、いつ建立されたのか不明である。
大きな吊り鐘は、第2次大戦中、鉄の徴用で軍部に供出され、鐘楼は平成7年(1995)の台風8号の直撃で楠の大木2本が倒れかかり、この下敷きとなって倒壊してしまい、今はその基壇が残るのみである。」
隠れキリシタン燈籠
「天正14年(1586)大友氏の攻撃で、辛島城陥落の後、大友氏輩下の戦死者の霊を弔うべく、キリスト教信者によって建てられたものであろう。
十文字の結び文様、結び目から出た枝の数10本など、隠れ文様が見受けられる。最下段の石組みの上には、ローソクを立てたり、供物をしたであろう皿状の凹みが冥福を祈る信者の心根を物語っている。」
北辰殿
「文化14年(1817)島屋政右衛門並務は、日田の広瀬淡窓の弟「弥六」を辛島家の養子に迎え、泉の宮の社殿と共にこの「北辰殿」を建立したと伝えられている。
「北辰殿」とは、北極星を祀る神で宇宙を支配するといわれ、女神様と共に辛島家の守護神である。
宇佐神宮の一之御殿の傍らに、この「北辰社」が祀られていることから、泉の宮と八幡宮の深い結びつきを見逃す訳にはいかない」
北辰殿祠
宝池
「天平宝字3年(763)に、社殿の傍らの霊泉で酒を造って八幡神に献じ、その残適を地に注いだところ、泉になって湧き出たという伝説から、この場所に池を掘ったのが起源であろう。それ以来、昭和の終わり頃まで約1200年間湧き出し続け、名水として、また水田の灌漑水として永く広く利用されてきたが、平成の初め頃(1990)市の下水道工事で泉の水脈が切断され、湧出量が減少してしまった。」
末社
「大神宮」と「泉八幡」の神額
末社