神社名 奥平神社
鎮座地 大分県中津市550
由緒等  ご神体は、奥平家中興の祖 奥平貞能・信昌・家昌公三柱の御祭神をお祀り申し上げております。

 のちに宇都宮城(栃木)を経て宮津城(京都)から入城した七代目 奥平昌茂公は中津城入場の翌年享保三年正月(一七一八年)、城内の二の丸にあった観音院を祈祷所と改称し、十一代目昌高公が天明七年(一七八八年)、祈願所を長福寺と改名いたしました。現在の中津裁判所がその旧敷地であります。

 ご祭神の貞能・信昌・家昌三公は永禄三年(一五六一年)より元亀・天正・文禄を経て慶長十九年(一六一九年)に至る五十八年間、幾多の戦功をたてられて徳川氏に忠節を尽くしてきました。

 特に奥平家二代目の信昌公は関が原の合戦後、初代京都諸司代として綱紀を振るい凶賊から庶民を護りました。後世武士(もののふ)の鑑(かがみ)として徳川三百年の礎(いしずえ)を築き、人々から義勇と武功を称えられました。
(案内板より)
メモ 旧縣社。
中津城下に鎮座する中津藩主奥平家の神霊を祀る神社です。
地図

境内

拝殿

拝殿

拝殿内

本殿

賽銭箱、奥平家の家紋でもある「軍配団扇」。

中津城

中津城

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