神社名 | 八幡神社(三橋町垂見) |
鎮座地 | 福岡県柳川市三橋町垂見305 |
由緒等 |
祭神 誉田別天皇(應神天皇)、高良玉垂大神、住吉大神 由緒 天慶七年(944)の筑後国神名帳には、垂見三宅門神が記されているが、当八幡神社の前神か否か不明である。十一世紀後半の八幡神社の筑後進出により、高良玉垂神と八幡神を併祀し、また別宮として創建されて行く過程のなか久安四年(1148)創建されたという。 治承二年(1180)、鷹尾郷の鎮守(郷社)鷹尾神社の文書に見える大宮司家十五家のなかに、「神人垂見大宮司家」がある。そのため、この年以前に鷹尾八幡宮の分霊社として勧請されたのではないかとも考えられる。 当社は、古代の支配体制が後退し、武家の進出支配のなかで八幡神への武家集団の特別な信仰を集め、神威を増して来た。 戦国時代に戦略拠点たる垂見城をめぐる武士の興亡、豊後の大友氏第十五代大友親繁ゆかりの心源寺の存在等にその影を見ることができる。 慶長五年(1600)、柳川城主の立花宗茂が関ヶ原の役出陣に当たり、当社に重臣を代参させ、御神刀を奉納し、戦勝を祈願された程の由緒ある神社である。 (案内板より) |
メモ | 楼門や社殿の彫刻が素晴らしい神社です。 |
撮影年 | 2020年 |
地図 |