神社名 | 小保八幡神社 |
鎮座地 | 福岡県大川市大字小保95 |
由緒等 |
小保八幡神社は、延長期(923~931)に太宰府天満宮を勧請して氏神としていましたが、元久期(1204~1206)に石清水八幡宮を勧請して本社とし、天満宮を末社としたと伝えられています。 正面には石鳥居が建てられ、石橋を渡って楼門を潜ると、正面に拝殿・本殿、左手に宮地嶽社、右手に水天宮、神殿右脇に天満宮、左脇に祇園社が配置されており、いずれも伝統的様式を留めています。本殿は出組・腰組を用いた装飾性豊かな造りで、「享和元年(1801)」の年号を記した棟札が見つかっています。拝殿は簡素な造りで、本殿と同時期の建築と考えられます。楼門には当初、素木の杉材が用いられており、蟇股の脚が細く経年感も十分で、元禄期(1688~1704)まで遡る可能性があります。 小保八幡神社の境内には粟嶋明神(少彦名命)が祭られる粟嶋宮があり、粟嶋宮の社殿の後ろには巨石が立てかけられています。この巨石は、弥生時代の九州地方で見られた支石墓ではないかといわれています。 大川市教育委員会 (案内板より) |
メモ | 案内板に書いてあることが全てですが、その他、赤い楼門が特徴的で目立ちます。 |
地図 |