神社名 | 大木八幡宮 |
鎮座地 | 福岡県みやま市瀬高町大廣園 |
由緒等 |
大木八幡宮由来 南北両大木の産土神例祭十一月十七日、社地東西十三間南北六十一間面積五百七十五坪、神社帳に二反とあり 柳河城主蒲池氏の祖先は関東下野国宇都宮三郎左エ門尉朝綱、宇治川合戦(1180年)のとき、将軍の下知を蒙り強敵を討ち其功により筑後国を拝領す。其子兄弟三人鎮西に下降、宇都宮検校弥三郎頼綱は山門郡大木村に在城し主計頭と称す。 此の人石清水八幡宮の御分霊を勧請し土中に七節ある八幡名竹を持参ありて社殿を建立し周囲に竹を植え給う今に社の境内四間に竹林あり。 この子孫大木知光(統光)は柳河藩主蒲池鎮並、戦死後肥前に往き追腹せんとせしも龍造寺に止められ遂に鍋島氏に任う。社内に八竜社・天満社あり。大木氏この地に来る以前は天満宮を氏神とせしも八幡宮を崇敬あり氏神とせられし故に之を側に移し祀りしと云う。 旧藩の制毎年この八幡竹二十本を柳川藩に進上せしむ藩に於ては役人を出張させ竹を選定せしむ。村民之を城中に運搬せば特に城内の拝観を免さる。この竹を以て旗竿又は刀剣目貫竹等に使用せりと云う。 英山公(第四代立花鑑虎公)鷹狩のとき其愛養されし鷹離れて帰り来らず。仍りてこの社に祈願をかけられしに其鷹直ちに帰り来れり公大いに喜び画師に命じ松の上に鷹を描かしめ本社に奉納せらる。 (参考:拝殿内案内板) |
メモ | 祭神は応神天皇、住吉神、春日神です。 |
撮影年 | 2020年 |
地図 |