神社名 森山神社(みやま)
鎮座地 福岡県みやま市高田町田尻750
由緒等 祭神
天照皇大神、春日大神、住吉大神、津速魂神 由緒
社記に曰く、当社は人皇第六十一代の帝朱雀院天皇の御宇天慶五年(942)九月十五日御勧請也。其由来を尋るに相模国平将門叛逆を企ける因茲橘好古大将軍の勅命を蒙り平貞盛副将軍の宣旨を受く大蔵春實は大将軍橘好古の手に属し、住吉社春日社に参詣、伊勢国大御神に参籠し朝敵退治の祈願をなし、相模国に赴きしに朝敵将門は平貞盛に被討関東平かに治り帰路の時江州守山(滋賀県守山市)に宿す。其夜春實大御神の霊夢を蒙り奇異の思をなし具足箱を探り見るに不思議なるかな六寸斗の御鏡有り霊夢不空春實彌丹誠を抽朝敵降伏を祈り藤原純友を追討するため九州に下向し、筑前国に於て大蔵春實、純友の首を取り、此の恩賞に朱雀院天皇より三社の神号の錦御旗、天国の御剣を賜る。播州大蔵谷を攻めて筑後国の内田三千七百町を給う。田尻郷に下着有り、江州守山宿にて授かりし御鏡を御霊代とし、朱雀院天皇より賜りし錦の御旗の春日住吉神天国剣と玉を御霊代として御同殿に祭る。守山の宿にて大御神の授給御鏡故崇奉森山宮として崇め奉り、田二十七町を寄附し累世産土神とす。当山の頂に城を築き其後鷹尾村に城を築いて是を代々の居城とす。田尻丹後守鑑種、龍造寺の幕下となり、天正十二年二月二日肥前国に移り、文禄二年四月二十九日丹後守鑑種は朝鮮国に於て逝去、子孫肥前国に住し、元和四年六月三日鍋島紀伊守附属小城の家臣となり代々小城に住す。毎年十一月五日代参あり、家中総代として両人宛参詣あり。田尻家古代の墳墓は竹井原にあり今の人是を十三塚と云う。星霜移て当文久二年まで九百十九年に及ぶものなり。
明治六年三月十四日村社に被定。
(参考:福岡県神社誌)
メモ 大蔵春実の子孫である田尻氏ゆかりの神社です。滋賀県守山で朱雀天皇から授かった神鏡、神剣を御神体として創立した神社です。小高い丘の上に有り、見晴らしが非常にいいです。
撮影年 2020年
地図

旧参道入り口

参道から見たみやま市

鳥居

参道

楼門

狛犬吽形

狛犬阿形

回廊付きの拝殿

拝殿天井絵

本殿

境内社

境内社

境内社

参道から振り返る

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