神社名 三笠神社
鎮座地 福岡県大牟田市鳥塚町88
由緒等 公式サイト

ご祭神
 高橋主膳ノ正鎮種(入道して高橋紹運と号す)
 斎藤兵部太夫鎮実の妹(紹運公の正室)
 立花直次(紹運公の次男、高橋統増の名で知られる三池藩祖)

由緒
高橋紹運公は戦国武将にて、大友氏の一族吉弘氏より出て、高橋の名蹟を継がれ筑前岩屋城・宝満城主として主家大友宗麟に忠節を誓い筑前立花城主、戸次道雪と共に大友家を支え守り抜きました。
天正十四年夏、九州制圧をかけ北上する島津軍五万の大軍を迎え討った高橋紹運公の手勢は七六三名。「一日で攻め落とす」と豪語する島津軍と十四日間にわたる戦国史上稀に見る激戦となりました。(岩屋城の戦い)。紹運公の人柄は「高橋記」に「文武に通じ徳智謀達し、諸人に情深く忠賞も時宜に応じ私欲は無く、古今稀なる名将」と記され、洵に武士の亀鑑たる御方でございました。
豊臣秀吉は「乱世に咲く華」と紹運公を称え長男立花宗茂に柳川藩を、次男立花直次に三池藩一万八千石を与えました。立花直次は武勇に優れ、文禄・慶長の役において兄を救出し、剣術に優れ、柳生宗矩の門弟となり「新陰治源流」を開祖。紹運の妻は二男四女を産み温和な優しい人柄と家中より慕われました。
七代藩主立花種周は、若年寄となり幕政に参与しましたが、文化二年(一八〇五年)奥州伊達郡下手渡村(福島県伊達市)移封となり天保六年(一八三五年)祖先の義烈を顕彰すべく神祇伯に請いて三笠神社が創建されました。
明治維新により念願の三池復封となり
 明治三年東山(大牟田市今山)
 明治四年縣社に列せられ
 明治十六年例祭煙花による火事により
 明治二十九年八月現在地にご遷座
我が国の近代化産業は、ここ石炭発祥の三池稲荷村から始まることから三笠神社は郷土の発展とともに武勇の神をまつる神社として広く尊崇されています。
(案内板より)
メモ 旧縣社。
戦国時代の名将、高橋紹運を祀る神社です。質実剛健な社殿が特徴的です。
熊野神社と境内を接しています。
撮影年 2016年
地図

一の鳥居

参道

二の鳥居

鳥居そば狛犬吽形

鳥居そば狛犬阿形

境内

拝殿

拝殿

本殿

本殿

賽銭箱の社紋

社殿全景

境内社(祭神 恵比須大神・大國主大神)

境内社

境内社

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