神社名 | 高木神社(黒川) |
鎮座地 | 福岡県朝倉市黒川1805 |
由緒等 |
祭神 高皇産霊神、伊弉諾尊、伊奘冉尊 相殿 五部神(天兒屋根命・大太玉命・天鈿女命・石凝姥命・玉屋命) この高木神社は江戸時代まで大行事社といわれ、彦山神領の鎮護を目的とした彦山麓七大行事社の一つである。創建の時期は不明であるが、寄進された最古の資料に天文二十三年(一五五四)銘の墨書が確認できる。 高千穂家(現在の英彦山宮司家)に残る記録によると、正慶二年(一三三三)後伏見天皇の第六皇子助法親王、後の助有法親王が彦山座主として九州に下向され、世襲制初代座主に就任したという。翌年には「黒川院」御所を造営し、第十四代舜有座主が豊臣秀吉の九州征伐で降伏するまで、約二百五十年間にわたり、九州における修験道の中心であった彦山と共に、一大宗教都市として繁栄している。 江戸時代に筑前国が黒田領となると、黒田家との関係が悪化し、黒川に残る歴代座主の墓所や栄華を誇った旧跡は、第二代藩主黒田忠之の破壊命令で消滅してしまう。 現在、高木神社では毎年十月二十九日に、福岡県無形民俗文化財に指定された宮座行事がある。行事には中世修験道の要素が色濃く残り、当時の黒川院を物語る数少ない伝承となっている。 (案内板より) |
メモ | 朝倉の山奥、黒川地区に鎮座する英彦山関連の高木神社の一社。 |
撮影年 | 2016年 |
地図 |