神社名 砥上神社(中津屋神社)
鎮座地 福岡県朝倉郡筑前町砥上980
由緒等 御祭神
 神功皇后(息長足姫命)
 八幡大神(応神天皇)
 住吉大神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)

由緒
当社は夜須郡の祖社にして、宮所は古く社伝に、神功皇后新羅を征討せんとして先ず諸国の軍衆を此の地に招集し給い、中宿(屯宮)としたことにより中つ屋と号す。
 此所に集まれる軍衆に命じ、兵器を砥がせ給うにより、砥上のち名を残せり、征討進発に当り軍議を催し、武神たる武甕槌命を勧請して皇軍の武運を祈り、三韓平定の功を奏し給うを伝う。現在砥上山上に武宮と在るは是なり。
 天文十二年(一五四三年)大内田勘解由重国(当社・初代宮司)初めて祭祀をなす。是より、秋月氏は神殿の造営を成し、祭祀料二町余、筑紫氏もまた一町二反の神領を寄進し、崇敬の誠を捧ぐ。後、天正二年(一五七四年)萩尾遠江守治種により社伝の再興あり。貞享四年(一六八七年)夜須郷の産子により修理さる。
 当社は、代々夜須郷の氏子はもとより武人の崇敬特に厚く、歴代福岡藩主及び社寺奉行より御祈祷報賽並びに代参のありたることを証す達文多数残れり。
 尚、石鳥居の額は花山院内府貞誠公の筆なり。
 明治五年十一月三日、郷社に列せられ現在に至る。

(案内板より)
メモ 旧郷社
中津屋神社とも呼び、神功皇后ゆかりの神社で古い歴史を持ちます。
撮影年 2016年
地図

一の鳥居

社号標

二の鳥居

二の鳥居そばの量産型狛犬吽形

二の鳥居そばの量産型狛犬阿形

境内

手水舎

拝殿前の狛犬吽形

拝殿前の狛犬阿形

拝殿

拝殿絵馬

拝殿内

本殿

社殿全景

社殿全景

境内社

境内社

庚申塔

高木神

猿田彦大神

大神宮鳥居

大神宮

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