神社名 垂裕神社
鎮座地 福岡県朝倉市秋月野鳥666-1
由緒等  ここは、旧筑前の国秋月である。
 当社は、垂裕大明神(秋月黒田藩初代藩主黒田長興公(一六一〇~一六六五)を奉祀する。
 長興公は福岡藩祖黒田長政の三男に生まれ、幼年より温厚沈毅にして英明の誉れ高く父長政公に愛されていた。
 一六二四年(寛永元年)秋月黒田藩五万石の城主として入府する(公は十四歳)。
 福岡宗藩と共に肩を並べて諸侯の列に就くことができたのは、長興公の偉大なる人物によるところが大であった。
 一六三八年(寛永十五年)島原の乱に際しては(公は時に二十八歳)幕命に従って諸藩と共に出陣、原城本丸攻略などに大きく戦功を挙げた。
 一八五九年(安政六年)東陽院殿(長興公)の二百年祭典挙行にあたり、時の十代藩主長元公(土佐山内家より養子)は藩祖を祭神と仰ぎ、永く敬神酬恩し奉らんと勧請し、神号垂裕大明神を授賜された。
 一八七三年(明治六年)この神社造営に当たっては、台地を開き道をつくり旧御館裏の空谷杉や入府当時に植樹した丈余の老松が用いられた。又坂道の石段は士族の老若男女が総出でつくった故に士族坂と呼ばれている。爾来、祭神の英明にあやからんと遠近から参拝者多く崇拝の社となっている。
 時がうつりて一九四七年(昭和二十二年)歴代藩主島原の乱以降の秋月の乱、佐賀の乱、熊本神風連の乱、福岡の乱、西南戦争などに没した志士、国家の為に忠誠を尽くし殉華なされし日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などの戦没者、秋月町財政の功労者などの御霊が合祀さる。
 参道の黒門は、秋月氏時代(一二〇三~一五八七)の古処山城の搦手門であったものを長興公の秋月城築城の際に大手門とし、名字になって現在地に移されたものである(県指定文化財)。

(案内板より)
メモ 旧縣社。
秋月城趾に鎮座します。
撮影年 2016年
地図

社頭

一の鳥居

社号標

参道

黒門

参道

二の鳥居

拝殿

本殿

社殿全景

社殿全景

湊川社鳥居

湊川社狛犬吽形

湊川社狛犬阿形

湊川社

御神木

御神木

御神木

御神木

TOPへ