神社名 恵蘇八幡宮
鎮座地 福岡県朝倉市山田166
由緒等 郷社 恵蘇八幡宮 木の丸殿 祭神 斉明天皇(第三十五代皇極天皇第三十七代) 応神天皇(第十五代) 天智天皇(第三十七代) 由緒 斉明天皇は百済救援のため朝倉町長安寺の橘広庭宮に皇居と大本営を遷されました。中大兄皇子(後の天智天皇)は国家安泰と武運長久をご祈願のため宇佐神宮の祭神応神天皇の御霊を祀り朝倉山天降八幡と崇められました。その後天武天皇の御代白鳳元年(六七三年)斉明・天智天皇の二神霊を勅命により合わせ祭り恵蘇八幡三柱大神と称しました。昔は上座郡中三十三村の総社でしたが現在朝倉町の総社氏神です。
(案内板より)
メモ 神社の裏には「御陵山」という山があり、「斉明帝稾葬地」とされており、詳しい説明は以下、案内板より。 日本書紀によれば、「西暦661年5月、斉明天皇は百済救援のため朝倉橘広庭宮に遷られたが、病のため7月24日に崩御された。皇太子中大兄皇子は母斉明天皇崩御7日後の8月1日に御遺骸を橘広庭宮からこの地に移し、一時的に葬り・・・・・・」と記されており、地元では御陵山と呼んでいる。 陵上には方二間(1.8メートル)の石柵が巡り、中央の塔石には「斉明帝稾葬地」と刻されている。
(案内板より)
撮影年 2016年
地図

一の鳥居手前、猿田彦大神の石碑。

朝倉木丸殿の碑

社頭。一の鳥居と二の鳥居が重なりあうような形で建っています。

一の鳥居。

二の鳥居。

参道脇の石仏

参道脇の石祠

参道脇の石碑

参道

手水舎

境内

拝殿前狛犬吽形。
四肢が太く胸板が非常に厚い、筑後地域でよく見られる形です。

拝殿前狛犬阿形

拝殿

拝殿上の干支恵方盤

拝殿彫刻

本殿

社殿全景

社殿全景

本殿裏の境内社

太刀八幡大神の石碑(天文17年)

大楠

斉明帝稾葬地への入口鳥居

斉明帝稾葬地への参道

斉明帝稾葬地参道途中にある祠

斉明帝稾葬地参道途中にある境内社?

漏刻の模型

斉明帝稾葬地

斉明帝稾葬地内

斉明帝稾葬地から見た筑後川の山田堰

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