神社名 高良大社奥宮
鎮座地 福岡県久留米市御井
由緒等 古くは「高良廟」「御神廟」と称し、高良の神である竹内宿祢の葬所と伝えられていた。高良山信仰の原点ともいうべき聖地である。付近の地名を「別墅(所)」といい、白鳳七年(六七八)開山隆慶上人が、毘沙門天(高良の神の本地)を感見して毘沙門堂を建て、天竺国無熱池の水を法力で招き寄せたのが、この清水であるという。
 鎌倉時代の貞永元年(一二三二)には、惣地頭代刑部丞中原為則なる者が、五重の石塔をここに造立供養したというが、現存しない。次いで南北朝時代には征西将軍懐良親王の御在所となったとの説もある。
中世末の記録によれば、ここには戒壇が設けられていたとある。恐らく現存の石積の檀を指すのであろう。壇上には室町時代の石造宝塔が立つ。
 江戸時代の中頃、山中の極楽寺を再興した僧即心は、晩年ここに籠って念仏修行したという。
 明治初年の神仏分離により、毘沙門堂は「水分神社」と改められたが、「あらゆる願い事を叶えてくださる神様」として、高良大社の数ある末社の中でも、今日特に厚い信仰を集めている。
明治に村社となり現在に至る。
(案内板より)
メモ 高良大社の本宮から結構登ります。非常に仏教色が強いです。また、昼でも薄暗いです。
撮影年 2015年
地図

一の鳥居

二の鳥居

三の鳥居

手水舎

社殿

拝殿内

御神体

境内社

境内社

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