神社名 | 若咲神社 |
鎮座地 | 福岡県田川市川宮434-1 |
由緒等 |
若咲神社の由来 若咲神社は昔神功皇后が三韓より御遷啓の節儀に賊、田油津姫をご征討の後、更にその兄、夏羽追撃の途次、此處に暫く御駐蹕の砌り、西北一丁余の所に清き真水の湧き出るを聞き召されて、この池に水鏡遊ばされ、 「いまだ面やせず若く咲きて木の花の如し」 ろ仰せられ給ひしに因り、この池を若咲池と称し奉り、皇后の功徳をこの地に永く慕い奉る可くとし神功皇后を齋き祀れる御社として、又遠き祖神若狭彦命、並びに若狭姫命を配祀せらるるに因り若咲と若狭の名称を合称して、明治四十年より若咲と敬称し、両称一体以って若咲神社と称し奉る霊験あらたかなる神にして古来より村民の崇拝を集めている。 若咲神社建立の経過 (神社合祀の政府令発令) 明治三十九年、時の政府により直接村の各地に散在する小さな神社を一カ所に合祀せよとの政令が発令された。当時、河原弓削田村に祀られていた神社は、豊前坊社(大藪)貴布祢社(法光寺上)地神社(是政~松尾製菓附近)であった。豊前坊社は大藪地域で祀り、是政の地神社と貴布祢社は今の神社地に合祀された。 なお明治四十年まで現若咲神社地にはお庚神様だけしかなかったので、若咲神社を建立し今日に至っている。その経緯については鳥居、額縁等により確認されている。 (案内板より) |
メモ |
福岡県神社誌には旧無格社、若狭神社(祭神は若宇賀賣命)として掲載されていますがおそらくこの若咲神社のことだと思います。 神功皇后を主祭神としていますが、若狭彦命と若狭姫命を祀る神社は福岡県ではかなり珍しいです。 |
地図 |