神社名 | 諏訪神社 |
鎮座地 | 福岡県田川郡添田町中元寺1461 |
由緒等 |
諏訪神社(両社宮)御縁起 建御名方神(大国主命二男神) 多力雄命 片闇邊命 蛭子命 当神社は大和時代前期より古事記に散見する豊前、豊後、筑前三国の水分中元司川(早瀬川)彦山川流域の開拓神として大国主命に従いて瀬成大神と合計りて治水、農耕開発・国土経営に当たらた出雲系氏族の氏神と崇められ延命長寿、子供達の守神、祖霊鎮守の御社と郷人々より御諏訪様・諏訪の大明神と称され氏子郷人の親愛の情深き尊崇敬神の誠により古来今に遷る事無き厚き護持により御鎮座す。 保元二年(西暦千百五十八年)平清盛大宰少弐鎮西下向を受け平弘依「生国信濃総社同一神成」と深く敬い宝ヵ岳一円を神領と定め元宮別所山中より現社地に御遷座社殿造営を成し地領不入の制を定め以後、地主の神武神としての性格を強め歴代の領主の厚き信仰を受くる。 中世周防大内義興公の大造営により東西七百m南北二百mに及ぶ境内地も天正八年大友、秋月、龍造寺等の兵火によりて大破 天正十五年豊前入国領主壱岐守勝信公により城乃越蛭子堂に祭られし蛭子命を合祀社殿拝殿の御造営を受け両社大明神と称し奉り五十年毎の式年大祭の制が定まる。宝ヶ岳一帯を神地に供し以後細川忠興公小笠原忠真公等豊前入国に際しては、御社号奉納を例とし拝殿向拝には彰仁親王様御宸筆による「両社宮」宮号書額を始め諏訪大明神御社号額等を有し以来豊前乃国早瀬川流域の手永大社と称され現在に至るも古来遷る事無く社家相伝の治罹切り神事を始め古式により年間七十有余にのぼる恒例の祭事が氏子中により今中に継承さる。 境内には景行天皇御手植と伝承される樹齢千数百年に及ぶ天然記念物指定イチイ柏十数本が今尚樹勢盛に鎮守の森の社叢を成し古代の地叢を今に良くとどめ祖先先人達の営を今にとどむる。 (案内板より) |
メモ | 中元寺川沿いに鎮座する古社で、景行天皇お手植といわれるイチイガシが見応えがあります。 |
地図 |