神社名 | 清祀殿 |
鎮座地 | 福岡県田川郡香春町採銅所長光 |
由緒等 |
清祀とは中国語で「清いまつりごとをする荘厳な家屋」という意味があり、この地こそ宇佐神宮に奉納した御神鏡鋳造の場所である。 古来より御神鏡鋳造の任にあった長光家の古文書によると 一、天照大神社一宇 一、清祀殿一宇 一、神宿殿一宇 一、勅使殿一宇 一、在庁官人小屋一宇 とあり、御神鏡鋳造当時の清祀殿について現在的に解釈すると、「清祀殿一棟、屋根は板ぶきで、九尺間を一間とする三間四方の広さで、柱は総数十二本、高さ二十二尺、中はすべて土間になっており、中央には鍛冶床が設けられていた」と注釈が記されている。 清祀殿裏手、三の岳の間歩(銅鉱石を掘り出した坑道跡)より運ばれた銅の鉱石はここで精錬され、御神鏡としてこの建物の中で鋳造された推察される。 なお、御神鏡鋳造の始期であるが諸説あるものの、宇佐神宮の放生会に奉納する御神鏡を初めて鋳造したのは養老四年(七二〇年)であろうといわれている。 また、古宮八幡神官林家に伝わる「宇佐宮造営日記」等の古文書によると、奉納行事は四年から六年毎など変わっており、歴史の興亡や数々の変遷を経て八十余度行われてきたようであるが、中御門天皇享保八年(一七二三年)に実行した記録があり、おそらくこの行幸会を最後として放生会も含めて長光地区における御神鏡鋳造は廃絶したものと推察されている。 現在、清祀殿背後上段左手に花崗岩の自然石が三基立っているが、これが鋳造が無事終わった鏡を神宿殿で安置するのに使用した「御床石」で、鋳造遺跡を今に伝える唯一の文化遺産である。 昭和五十二年十月、約二百五十年ぶりに(四百年ぶりという説がある)に御神鏡奉納行事が復活したが、諸般の事情で存続が困難となり、現在は中止されている。 (案内板より) |
メモ | JR採銅所駅から歩いて15分程度の場所に鎮座。採銅所という地名からも分かる通り、古代からこの地で採れた銅を使用して宇佐神宮に奉納する神鏡を鋳造していたとされる場所です。 |
地図 |