神社名 | 稲荷神社 |
鎮座地 | 福岡県田川郡福智町金田408 |
由緒等 |
祭神 伊奘諾大神 宇迦之御魂神 大己貴神 大山祇神 姫大神 息長足姫命 由緒 金田庄十一ヶ村の氏神として嵯峨天皇の弘仁年間(810年~824年)伊奘諾大神を奉斎し創建され金田宮と称された 凶作の続いた天長七年(830年)六月二十六日神託により神主以下十八名の代表が山城國稲荷大神の御分霊を勧請し九月十八日金田宮に合祀、稲荷金田宮と称し年中十三度の祭を定め五穀の豊作を祈ったところ年々豊熟し庄民大いに感謝し以後神託の日に稲葉祭を奉仕し鎮守の地を玉穂山と唱え後年稲荷神社と改称するや領主は領内の大社に列し社領を寄進して厚く崇敬した。 応永年中(1394年~1427年)名木野城主の社殿を焼却する等の暴政により御神体を銀杏の根元に埋め難を免れた際神社の宝物記録は焼失し社領は没収され祭事も頽廃したが永和二年(1376年)社殿を再建し元和三年(1617年)祭を復興した。 明和四年(1767年)打続く疲弊の為祭を怠った處牛馬の悪疫が流行したので盛大に祭を復活すると忽ち病禍が霧散した。明治の太陽暦制定により例大祭を現在の十月二十日と定められた。 明治六年社格が郷社に列せられた。 (案内板より) |
メモ |
旧郷社。 旧田川郡金田町の中心的な神社で、非常に歴史が古くかつては金田宮と称されていました。 神幸祭は福智町でも最大規模のお祭りで、毎年多くの人々で賑わいます。 |
地図 |