神社名 若八幡神社
鎮座地 福岡県田川市夏吉1702
由緒 若八幡神社由緒
祭神 仁徳天皇  相殿に左の二座を合祭
三座 応神天皇  地主神  神夏磯姫命
   神功皇后  輝徳霊神 小笠原忠真公

人皇第十二代景行天皇の熊襲征伐に際し天皇を周防の佐波(今の防府市)迄出迎え、九州平定に寄与されたのが我が夏吉地域開発の祖神、神夏磯姫でした。「榊の枝に八握剣八咫鏡、八尺瓊をとりかけ、船の舳先に素幡を立てゝ参向した」と日本書紀には記されています。年代は下がって姫の末裔夏羽は朝廷に恨みを持ち、神功皇后の暗殺を企てた妹、田油津姫を援けんと軍勢を催してかけつける途中で妹の敗戦を知り逃げ帰って館に立て篭ったところを追ってきた皇后の軍勢に焼き殺されました。(岩屋須佐神社横の洞窟との説もある)それ以来夏羽焼-夏焼と此の村が呼ばれることになったのです。後に、夏羽の亡霊の祟を鎮める為に宇佐より八幡宮が勧請されましたが(光仁年中一一七三~四年前)今の大宮司屋敷から現在地に遷座されたのは慶長十三年二月三日(三七五年前)の事です。現在は仁徳天皇(応神天皇の若宮)を合わせ祭る為に若八幡と、となえますが、これは平清盛が香春岳鬼ヶ城の守護神として平家の氏神、仁徳天皇の神霊を京都の平野神社より香春岳の中腹に祭り、その後いかなる理由でか当社に鎮座されたのです。江戸時代小笠原藩祖忠真公巡國の折り、当社に参詣され困窮のどん底にあった村民を救うため色々の施政をさえると共に、不吉な夏焼の村名を夏吉と、改称されました。
村民は以後の繁栄を感謝し、公の逝去の後若八幡の相殿に公の神霊をお祭りして来ましたが、享和元年(一八二年前)朝廷に願い出て、輝徳霊神の神号と霊璽とを頂いたのです。当社の神紋が、小笠原家の家紋と同じ三階菱であるのは以上の理由によります。
(案内板より)
メモ 非常に歴史の深い神社で、日本書紀にも登場する神夏磯姫を祀ります。
また、小倉藩主の名君、小笠原忠真公も祀っています。
地図

社頭

田川型狛犬吽形

田川型狛犬阿形

参道

少しアレンジされた関門・北九州型狛犬吽形

少しアレンジされた関門・北九州型狛犬阿形

参道

手水舎

拝殿前の新牛(左)

拝殿前の新牛(右)

拝殿

拝殿

幣殿・本殿

社殿全景

天満宮

比叡社

庚申塔

稲荷神社

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