神社名 立屋敷八剱神社
鎮座地 福岡県遠賀郡水巻町立屋敷3-13-30
由緒等 「第十二代景行天皇の御大、日本武尊は筑紫の熊襲征伐の途次、この地にて砧姫を娶られた。尊が東国征伐の帰途、崩御されたのを聞き、尊の仮宮跡に社祠を築き「御館大明神」として祭るを当神社の起源とする。後に「八剱大明神」と改称。文治元年(1185年)山鹿城主、山鹿秀遠が、社殿を造営その後も尚武の神として、大内、小早川、黒田、と城主、国主により五度、社殿は造営された。

当神社は元は、水巻の庄数ヶ村の産土神であったが、遠賀川の改修工事(1628年)により分村、分霊して、今では立屋敷区だけの神社となっている。

境内の大銀杏樹は、日本武尊のお手植えと伝承、樹齢千九百年、県指定の天然記念物で、昔から祈願してこの樹皮を煎じて飲めば母乳が出ると伝えられ「乳の神様」と近郷はもとより遠方からも多くの参拝があり、今も祈願者がある。社宝として、壇ノ浦の源平合戦の戦勝祈願に、山鹿秀遠が奉納した県内最古の「木造の狛犬と随神像」があり、共に町の文化財に指定され「水巻町歴史資料館」に展示されている。

社殿内の一対の大型絵馬は、天保十一年(1840年)近隣の二十ヶ村で祈願奉納したもので、裏面に作成経過が詳しく書かれ民俗資料としても、貴重なものとされている。境内のチシャの木は県内第三の巨木で町の指定文化財である。

合祀の保食宮は古来より五穀豊穣祈願の郡宗社であった。寛文十年(1670年蝗害発生の際、当村の蔵富吉右ェ門が「この神のお告げ」を受けて、鯨油を駆除剤に使い害を免れたと人々に伝えた。その後九州はもとより西日本一帯までも拡まった、これが日本農業の害虫防除の始まりとされている。この御神徳により、享保十七年(1732年)黒田継高公の命で「筑前国総鎮守」の社となったが、明治十七年八剱神社に合祀。堤防上の二本の夫婦銀杏樹は当時の境内樹である。」
(案内板より)
メモ 神社名からも想像できるように日本武尊ゆかりの神社なのですが、砧姫というローカルな女性が出てくるところが伝承のハイライトであり、この地方ならではのエピソードといえます。

砧姫は都に住んでいたが何らかの事情でこの立屋敷の地に移り住み、熊襲征討前の日本武尊に見初められ、熊襲征討後しばらく幸せな日々を送っていたが、日本武尊が東国へ旅立つこととなりその愛の印として植えた銀杏が境内の大銀杏に育ったという伝説です。

遠賀川の河口近くにあり、稲作発祥の地の一つとされています。大銀杏も有名な神社で紅葉の時期は圧巻で、福岡県指定の天然記念物です。

同じ水巻町の廣渡、遠賀町の今古賀にある八剱神社はこの立屋敷八剱神社の分社です。

境内北側には旧水巻村役場跡があり、当時の門柱が残っています。
撮影年 2024年
地図

神社入口

鳥居

境内

手水舎

狛犬阿形

狛犬吽形

拝殿

本殿

社殿全景

大銀杏

大銀杏

大銀杏

大銀杏

大銀杏

馬野神社(祭神は保食大神)

「霊樹碑」明治四十三年設置、銘は小杉榲邨

天照大神社(祭神は天照皇大神)

土俵

月読神社(祭神は月読尊)

猿田彦大神

興玉神

遠賀川堤防側鳥居

旧水巻村役場門柱

巨樹

巨樹

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