神社名 河守神社
鎮座地 福岡県遠賀郡水巻町吉田東3-1-1
由緒等  河守神社の祭神は大山祇神(山の神)、罔象女神(農業用水の神)、興玉神(土地の神)です。更に後年、堀川開削工事の恩人福岡藩主六代継高を祭りました。
 堀川第二期工事着手前年の一七五〇(寛永三年)工事の予定箇所に幸神社がありましたのを一時横の山に移し祭りました。何工事の吉田車返の切貫きが開通後、一七六〇(宝暦一〇)年藩公営で現在境内の奥医師団の上に新しく石室の神殿が造営され、ここを河守大明神といって三柱の神(大山祇命・罔象女神・興玉命)を移し祭りました。一方堀川は周辺の灌漑用水、川舟帯(五平太船)をとおして米・石炭等の輸送路として地域の発展に貢献しました。
 河守神社の氏子は堀川用水を利用した旧一六か村(中間市 旧中間村・岩瀬村 水巻町旧二村・下二村・吉田村・頃末村・伊左座村・立屋敷村・杁村・古賀村・猪熊村、北九州市八幡西区 旧折尾村・本城村・御開村・陣原村・則松村)で構成されていました。現在の社殿は、一九一四(大正三)年に水下一六か村により新築落成したものです。現在神社は一六か村の総代によって運営されています。
(案内板より)
メモ 旧郷社。日本を支えた炭鉱業の輸送路として栄えた堀川の守護神です。
地図

社頭

鳥居

逆立ち狛犬吽形

逆立ち狛犬阿形

境内

拝殿

社殿全景

拝殿奥の鳥居

拝殿奥の猿田彦大神

境内社

公孫樹/p>

河守神社の奥に鎮座していた咳の神様。「古河守」と呼ばれていて、この地に遷座。

咳の神様

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