神社名 天疫神社
鎮座地 福岡県北九州市門司区大積1272
由緒等 祭神は奇稲田比賣命、武速須佐之男命、鎭魂八柱神、八衢毘古神、八衢毘賣神、久奈止神
創立不詳、社記曰く丸山の城主大積上總介隆鎭護守也世に大積殿と稱す正保三年(1646年)再造して今の社地に遷座す、大正十四年十二月二十五日村社に列せらる。
(福岡縣神社誌より)

義経平家伝説ゆかりの地 水天宮
壇ノ浦の戦いで平教経の奥方(海御前)は敵将を切り捨て安徳天皇の後を追い海に身を投げた。その遺体は大積の浜に漂着し、里人が手厚く葬り水天宮として祀ったのがいわれ。海御前は河童の総帥になったと言われ境内には硯石でできた海御前の碑や河童の像がある。
(案内板より)
メモ 平家ゆかりの地の一つです。境内には海御前の墓があり、海御前が河童の総帥になったという伝説からか、河童に関するものが幾つか残されています。
非常に地味な神社ですが、こういうところにこそ歴史の真実があるのかもしれないと感じた次第です。
地図

鳥居

社号標

拝殿

本殿

貴布祢社

権現神社

忠魂碑

水天宮鳥居

水天宮

海御前の碑

海御前の墓

河童の碑

河童の像

TOPへ