神社名 二兒神社
鎮座地 福岡県京都郡みやこ町犀川花熊1343
由緒等 一、祭神 景行天皇 稲日太郎姫 小碓命(日本武尊) 大碓命

一、人皇拾弐代景行天皇賦徒御親征の為め豊国に行幸咥しまして、長狭県の行宮に入御し給ひし時、国形を覧給はんとして東嶺に(今云う馬ケ岳)登り給う(今に御所ケ谷と称する古跡存せり)後、日本武尊(小碓命)熊襲御討征の為め御行啓の時、父帝の先縦なりと宣給ひて、御登山ありしと云う。 依って後、天平二年(今を去る約千弐百四拾年前)神託によりて山上に景行天皇、稻日大郎姫、小碓命を奉齋す。
天慶年中にいたり藤原純友の反乱あり、此の征討の役畢りて当険要の地に守衛を置きたり、此の山上に築城の際、神祠を当山の東麓(現在の社地)に移転し奉る。天慶五年(今を去る約千参拾年前)後、城主当国の守護職太宰権太夫源為頼兼ねて本社の崇敬浅かりさりしが、令室姙身に当り、当地鎮守の神霊稲日太郎姫は御皇子隻子に御安産の神霊に坐しませばとて、祈念せられたれども臨月を経過すると雖も出産なきに依り、更に丹誠を以て祈りけるに其の夜夢に参拝して社前隻石に触れ給えば忽ち産気起り、苦悩を感じずして安産ませしと、此の時城主を始め霊應の灼然たるに感じ、報賽の為社殿を再営し大碓命をも合祀して二兒大明神と尊め給へりと云う。

(案内板より)
メモ 豊前の安産祈願といえばこの二兒神社が有名です。黒田官兵衛の築いた馬ヶ岳城趾に鎮座します。
地図

社頭

一の鳥居

狛犬吽形

狛犬阿形

馬ヶ岳を臨む

長い参道

長い参道

板碑

二の鳥居

二の鳥居神額

拝殿

手水舎

拝殿天井絵

幣殿

本殿

須佐神社

神輿庫

TOPへ