神社名 | 梅安天満宮 |
鎮座地 | 福岡県中間市中央1-42-5 |
由緒等 |
名蹟 梅安天満宮の由来 ここ徳若の天満宮は文永年間(四五〇年前)大宰府の菅公(菅原道真公)を勧請して祭られたもので延享年間(二三〇年前)惣社山よりここに移されています。この地はもと梅安といわれていたことから、梅安天満宮と称され祭礼日の御神幸は遠賀川の渡場までおくだりになり御神輿の前後には神官が騎馬で伺候し、舎人が音楽を奏して奉従し近村からの参詣者も多く盛大であったろいわれています。 また、一説には安産の神として崇敬され産安天満宮とも呼ばれていました。 この神社は公民館の集会に利用されていましたが、昭和五十八年氏子の総意に基づき浄財を集めて拝殿が新築され見事に完成し、公民館は移転し、伝統のうそ替え神事が継承されています。 (案内板より) |
メモ | |
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