神社名 足切神社
鎮座地 福岡県豊前市赤熊556
由緒等 足切神社要覧
一、鎮座地(略)

一、主祭神   級長津彦神 (風の神)
        級長津比売神(風の神)
        罔象女神  (水の神)

  合祀祭神  高神   (山の上の龍神)
        闇神   (谷に住む龍神)

一、本殿建築  三間社・流れ造り(総けやき造り)
  拝殿建築  妻入り縦長型 上・下段の間を有す

御由緒
足切神社の創建は、神社伝来の公富楽(雨乞いの楽)祭文ぶ依ると、壱千参百余年前、赤熊発祥と時を同じくして居ります。
松尾山文書には、足切社は足切荘の大社にして足切大明神として、崇敬されたとあり、足切荘は足切郷とも云い、上毛郡四郷(横武郷・足切郷・岩屋郷・吉富郷)のひとつで、現在の赤熊・清水町・吉木・久松・恒富・小犬丸・市丸・掘立・梶屋にあたります。
また、豊前国の風土記には、足切荘は、始めは足洗郷と称し、奈良時代に和気清麻呂公が、勅使として宇佐八幡宮へ下向の途路、今の清水町で休憩のとき、土地の人が清麻呂公の心中と病をあわれんで、「此の地に真名井という清水あり」と告げたとあり、清麻呂公その水に入り、足を洗うと忽ち効き目あり病癒えたりとあり。
これにより郷名を足切洗郷と云うようになり、その後、足切荘となりました。
昭和二十一年の神道指令により、神社が国家管理を離れてから、一時衰微を致しましたが、日本の伝統護持の氏子の信念は固く、その熱意は、昭和三十二年(本殿・拝殿改修)昭和四十四年(拝殿屋根改修)昭和五十二年(本殿銅板葺き替え)平成五年、(手水舎新築)平成十七年(社務除新築・参道整備)の諸工事となってあらわれ、平成十二年には社名を池田神社より古名の現社名へと改称し、今日に至っております。
当社祭神、級長津二柱を祀る神社は極めて少なく、福岡県内の五千神社のなかでも六社にしか祀られておらず、風の力で諸々の禍事を吹き祓、水の力ですべてを祓い清める御神徳の高い神々であります。
また、当社本殿は総けやき造りで、壇を七十センチ高く築き、さらに高さ壱メートルほどの石垣の上にひさしを長く伸ばした豪放磊落な流れ造りで、四面は細かな質の良い彫刻で飾られ、豊前・築上百七社の中でも、一二を争う秀麗・壮麗な建造物であります。
その御本殿に大神様は鎮まり、氏子の御栄え、地域の発展を見守っておられます。

平成二十二年十月吉日
足切神社社務所
(案内板より)
メモ
地図

一の鳥居

二の鳥居そばの狛犬吽形

二の鳥居そばの狛犬阿形

二の鳥居

境内

手水舎

拝殿

拝殿

拝殿神額

本殿

社殿全景

稲荷神社入口

稲荷神社手水舎

稲荷神社

稲荷神社

稲荷神社

社殿左手の豊受宮入口

豊受宮

豊受宮に置いてあった獅子頭とカエル

裏参道入口の鳥居

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