神社名 | 宇島神社 |
鎮座地 | 福岡県豊前市宇島70 |
由緒等 | 本社祭神主柱であります、杉生十右衛門貞則は小倉小笠原忠国公に仕へ、誠に信任厚く各奉行を歴任し、郡代に重用せられた。在任中偶々倉領小祝を中津奥平藩より申入れの領内を替地問題に端を発して、毎日追はれる藩民の苦しい生活と通行船の難破沈没に逢うのを憂い杉生郡代は藩主に築港の必要性を献策し、之が許され築港の普請奉行を命ぜられる。常に鵜の鳥の群集する当所の海濱を選び名を宇之洲と改め、小倉藩唯一の築港普請が初められた。時に文政四年(今から百四十二年前)これが完成には六年余の歳月と当時の金で工事費三万四千貫(現在に換算すると約百億)という藩の財政を傾けるなどの金を要し実に予算の三十倍の費用を全く天与の地利の恩恵なき蒼海に投入し出来上がった難事業で如何に藩主が民生の安定と周防灘只一つの商港避難港たる宇島港に期待し又藩民の要望に答えた仁政であったかが伺える。此の雄大な構想は今日の大阪、神戸港の堤防に劣るものではない。 時たまたま完成後大暴風雨で一部の決壊により一部の人から工事総監督の責任を追求されるに至り不可抗力的な天災にも拘らず自らその責任を感じ食碌も辞退して謹慎生活中に武士道の精華として自刃し宇島港の守護神として港と共に神徳益々顕彰されその遺徳は万世まで伝はり大正五年忠固候と共に贈位恩典に預かった一事でもその功績は千載普及宇島港と共に永遠に輝かん依而当社は金毘羅宮、表津海命、中津海命、底津海命の三柱を奉祀するに合祀す。 守護神の頌徳は地方発展の生命線である港湾と共に信仰に輝き航海者の安全を授け給ふ所以なり。 昭和三十七年八月 宇島神社社務所 (案内板より) |
メモ | 江戸時代、宇島港開港に尽力した杉生十右衛門貞則を祀る神社です。 |
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