勅使井全景
以下、案内板より
「社記によれば勅使(天皇の特使)が当社に参向の時、この井戸水を汲んで炊事に用い、或いは茶水と為したところから、「勅使井」の名がついたと伝えられる。奈良時代以降、宇佐神宮へたびたび勅使が遣わされその道中この地方に宿泊された時は古例に従って「勅使井」の御神水を差し上げた、明治以後は八回勅使が遣わされ宇佐神宮勅祭が行われている。この祭典にあたり当社より「勅使井」の御水を祭典用の御神水並びに御茶水として献上している。なお神護景雲三年(七六九年)和気清麻呂公は道鏡皇位事件に関し、勅使として宇佐へ下り、その途中路上より当社を拝礼されたのでその地を伏拝野と称し松を植え古跡として保存している」