神社名 | 高倉神社 |
鎮座地 | 福岡県遠賀郡岡垣町高倉1113 |
由緒等 | 公式サイト 天照皇大神 御祭神 大倉主命 莵夫羅媛命 當社は國史所載の古社にして、第十四代仲哀天皇八年正月己卯朔壬午、筑紫に行幸し給ひし時、縣主の祖熊鰐周防婆歴浦に参迎え、海路を導き山鹿岬より巡りて岡の浦に入らむとし給ふ。時に神異あり天皇勅して、挾抄者倭國田の人伊賀彦命を祝部としめ給ふ。神功皇后摂政二年五月午の日に、此の地に神祠を建て神田千町を以って定めらる。即ち大倉主命、夫羅媛二神の本宮なり。 古来武人の崇敬厚く年中三度の大祭には、在廳の官人をして祭儀を監察せしめられ、武家執政の後も検使を遣して祭儀を援けしめられき。天文五年九州探題大内義隆公社殿の造営ありしも、永禄二年大友宗麟の兵火にかゝり壮麗なりし社殿も貴重なる社宝と共に烏有に歸せしが、天正十五年國主小早川隆景公之を再建、慶長十八年黒田長政公梵鐘及び鳥居の献納あり。再来歴代の國主、神田・神山を寄進して、崇信の念殊に厚く、宝暦元年旧遠賀郡の惣社として定めらる。 明治五年十一月郷社に列せられ大正九年縣社に昇格す。現今の神殿・幣殿は明治九年田遠賀郡の造営によるものにして、古は神傅院、千光院、總智院、勝業院、正覚院の六坊あり又社家・五家・巫女四家ありしも、明治初年同時に廃せらる。 境内には御神木として杉楠松楓柳の五樹ありしが今は神功皇后御親裁と傳へられる綾杉と楠のみ残せリ。 (案内板より) |
メモ | 旧縣社 楠の巨木に覆われた日本書紀にも登場する緑豊かな古社です。 毘沙門天像は芦屋の職人が1400年代に鋳造したもので、神功皇后ゆかりの綾杉もかなり迫力があります。 境内には縁結びのスポット、「恋の木社」があります。 |
地図 |