神社名 | 岡湊神社 |
鎮座地 | 福岡県遠賀郡芦屋町船頭町11-21 |
由緒等 |
一、御祭神 大倉主命 莵夫羅媛命 素盞鳴尊 天照皇大神 神武天皇 一、御由緒略記 岡湊神社は「日本書紀」巻第八人皇第十四代仲哀天皇(西暦一九九年)に記されている「崗の浦(芦屋の古称)」の「大倉主命・莵夫羅媛命」の二柱を主祭神としている。 古来、「大倉社」とも称していたが、後に素盞鳴尊を配祀するようになり、「祇園大倉社」又は「祇園宮寺」単に「祇園社」と称するに至った。 往古は神領・神宝も多かったが、天正十四年(一五八六)薩摩の島津義弘軍が筑前に侵入、大友義鎮軍と交戦した際に戦禍を被り、社殿・社宝等はことごとく焼失した。翌十五年豊臣秀吉の九州平定の後は神領も没収され祭儀も衰え、三十坊(社家)も糊口困難のため念仏の徒となった。 正保二年(一六四五)六月、神殿を再建し、延宝六年(一六七八)二月、筑前国藩主黒田光之公(三代)より社領六十坪「神の松原」を賜る。当時の代官、花房源右衛門が国主に請願し、社殿の修復、絶えていた祭儀の復興などに尽力したため漸く旧観に復した。 宝暦九年(一七五九)十一月、拝殿を改築、文化五年(一八〇八)十一月にも修営した。 信託によって得た翁面二個及び鈴一振りがあり、これを当社第一の宝物としている。 昭和四年(一九二九)三月、中ノ浜・船頭町大火災により社殿も焼失し、昔の面影を失ったが昭和九年に地元住民の強い要望により再建した。 昭和二十年(一九四五)六月、米軍の爆撃により社殿を焼失した神武天皇社を合祀する。 昭和五十四年(一九七九)仲哀天皇勅祭記念一七八〇年祭を斎行。 平成十一年(一九九九)仲哀天皇勅祭一八〇〇年祭を斎行。 平成十二年(二〇〇〇)神武天皇社竣工祭を斎行。 (案内板より) |
メモ | |
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