神社名 | 八劔神社 |
鎮座地 | 福岡県北九州市八幡西区本城2-1-56 |
由緒等 | 八剣神社御由緒 [御祭神] 日本武尊(紀) 倭建命(記) 当神社の由緒については、「筑前続風土記拾遺筑陽記筑前早鑑記太宰管内誌」にでたり。 伝へられる次の二説がある。 一、「第十二代景行天皇の御代、(七一〜一三〇年)日本武尊が熊襲征伐の折り、この地に立ち寄られた。又、神功皇后も、この地で神祇を奉り武運の長久を祈られた。かかる霊地として、第六十四代円融 天皇の貞元、元年丙子(九七六年三月)に、祠を建て日本武尊を奉斎した。」 一、「三河守範頼が、この地に本城を築いた折り、平家追討の戦い安らかなるを祈願するた め、下河辺庄司、渋谷庄司の両名に命じて、尾張(名古屋)熱田神宮より劔大神を勧請して 奉祀した。」 【今に至っては、いずれを創始とするか明らかではないが、ただ、この地に貝塚や多くの古墳 が発見されていることから、既に、古代より人々の集落が形成され、又 我が国の神社信仰の 形態が皇室の祖先神人格神を祭神として奉祀し五穀豊穣鎮護国家を祈願してきたことから すれば、この地も、古い時代から至極当然のことであったと考えられる。そして、その祠は、 源範頼がこの地に本城を築城した際に、御神殿を造営し、御祭神を勧請したと見るべきであ ろう。】 即ち、八劔神社の創始は、今を去る、一一〇〇年前の貞元元年(九七六年)であったと考えられる が、それより以前に古代の人々が劔大神を祭っていたのではないかと思われる。 {なぜならば、御鎮座一〇〇〇年祭が明治三十六年(一九〇三年)二月七日に執行されているからである。 (境内に記念碑あり。)}昔の社地は、今の社地より西北一〇町ばかりにあり、永禄元年(一五五八年)野火にあい、今処にうつす。又御神殿は、寛文九年(一六六九年)に御改築し、現在の御神殿は五年がかりの修復御造営で享保元年(一七一六年)に完成している。「今から二七六年前のことである(平成四年十一月)」 (案内板より) |
メモ | 国道199号線沿いに鎮座します。八幡西区、若松区周辺の八剣神社の本宮ということです。 |
地図 |