神社名 豊山八幡神社
鎮座地 福岡県北九州市八幡東区春の町4-4-1
由緒等 神功皇后、三韓を従え給いし御弓矢を山中に納め天下が豊かなる事をお祈りされ、この山を豊山(ゆたかやま)と名付ける。
光孝天皇の御代、大宮司岡県主年麻呂に御神託が有り、現在地に御神体を遷し太宰府官人奉行のもと荘厳なる神殿を建立する。宇佐神宮寺弥勒寺より京都石清水八幡宮管轄の荘園となり小倉庄六ヶ村(尾倉、前田、枝光、大蔵、鳥旗、中原)の総鎮守として隆盛を極めたが、文禄二年枝光村、慶安元年前田村、寛文七年大蔵村へ当社ご分霊を遷し、それぞれの氏神とする。
明治二十二年、市町村制実施により、尾倉、大蔵、枝光、三村合併の折、三村の氏神様が「八幡神社」の為、八幡村と称しましたが、当社が「やはた」地名の発祥地と言われる所以である。
大正十二年、八幡東西区では最初に「村社」から「県社」に昇格され昭和五年、八幡製鐵所と共に八幡の繁栄した時代に氏子崇敬者の浄財により総檜造りの現社殿が竣工に至る。
(案内板より)
メモ 旧縣社。
ここ「八幡」という地名発祥の神社でもあります。
地図

社頭

社号標

二の鳥居

三の鳥居、四の鳥居と参道

狛犬吽形

狛犬阿形

境内

蘇鉄

休憩所

拝殿

社殿全景。重々しい雰囲気です。

稲荷神社全景

稲荷神社社殿

不明

祇園宮

不老社、貴船社、恵美須社、天満宮。

少し離れたところにある姿見池(影見池)。もともと豊山八幡神社の飲料水として使われていたそうです。大宰府に赴く途中の菅原道真もこの池に映る姿を見て心情を歌に詠んだといわれています。
「海ならずたたへる水の底までも清き心は月ぞ照らさん」

姿御池

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