神社名 若宮神社
鎮座地 福岡県北九州市小倉南区若園1-5-3
由緒等 若宮神社の由緒
社記に云う、醍醐天皇の御代・延喜十五年、蒲生郷の郷士・規矩太郎重行、大鷦鷯尊(仁徳天皇)霊夢に感じ、奇石を得たり。これ若宮の御分霊也と。茲に社を建立して、本郷鎮守の神となし、祭祀の礼を行う。郷人等もまた、崇敬特に深かりしが、保元二年修理大夫判官、平康盛が豊前の守護として長野城を築くにあたり、規矩氏にこれが旗下に属して、社域に丸城を築き、城の守護神として、崇敬最も厚かりしも、その後同城破却してにつれ、祠もまた朽廃する。
応永年中、大内盛見、陣をこの地に敷くや、旧跡に小祠を建営し、わずかに祭祀を存続せしも、再度天文の戦いに大友勢、大内氏と高坊原に戦い、社殿もついに兵燹にかかる。以来、草莽の地となり、その往昔知るもの稀なり。
慶長六年八月二十八日、里人、安之助、この地を開墾し、はからずも奇石を発掘せしかば、傍らの小池で洗い、これを里老に語る。たまたま一翁あり。若宮の古事を談ず。困って里人と謀り、杉を植えて印となし、社殿の再興をなす。時に領主細川忠興、神威の奇瑞聞き、金穀を献せらる。
寛永九年、小笠原家入国後も崇敬厚く、領主はこの地にお茶室を建てらる。これを、冨士見亭という。以来、士民の信仰深く、上城野邑の産土神として、祭祀をなす。(後略)
(案内板より)
メモ 一見するとただの鳥居のある公民館にしか見えませんが、公民館の後ろの僅かなスペースに参詣する場所が残っています。地域密着型の神社と言えそうです。
地図

鳥居

公民館

境内の水神様

公民館裏の社殿

手水鉢

狛犬吽形

狛犬阿形

詳細不明の石碑

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