神社名 荘八幡神社
鎮座地 福岡県北九州市小倉南区中貫本町3-1
由緒等 荘八幡神社御縁起

祭神

 一の御座 譽田別尊(應神天皇)

 二の御座 息長帯媛命(神功皇后)

 三の御座 多紀理毘賣命 市寸嶋比賣命 多岐都比賣命 (宗像の大神)

当荘八幡神社の沿革を述べますと第五十六代清和天皇の御宇貞観元年宇佐八幡宮の御分霊を神輿に奉持し京都の男山にお祀りすべく宇佐の地を出発され途上貫の庄に鈴石と云う大石が有り一夜此の石の上に駐輿せられました斯くて貞観二年に神輿は男山に到着され石清水八幡宮の御誕生となつた訳でありますこれは一重に国家鎮護の目的による創祀であり飽くまでも神恩奉戴の意であつたかに承ります

此処貫の庄に在りましては当時貫の領主少弐従五位の下藤原の朝臣石川左近将監直木が自から神主となり宇佐八幡宮大神の御分霊としてお祀りし第五十七代陽成天皇の御宇元慶七年二月に社殿を造営してお祀りし貫の庄の鎮守の神と崇め住民の発展と共にその子孫にしては産土の神と敬い、日に進み月に歩みの興隆に伴い氏の神即ち氏神としての尊崇を昂めつゝ平穏に繁栄の一途を辿つて参りました、之れも神恩の然らしむる処と存じ奉るのであります鎌倉幕府北条泰時公の貞永式目にも神は人の敬いによつて威を増させ人は神の威により運を添うるものなりと

貞観元年に神輿が一夜駐輿せられて以来一一二十年の星霜を閲し社殿の創建より一〇九〇年の永きを経過しておりますものゝ時として祭祀にも盛衰あり社殿の修復も度重ねて参りましたことは勿論であります其の昔足利尊氏公より八十町の祭田を献上せられました神社も創祀の頃は鈴石八幡宮と称し軈庄八幡神社と改名せられそして貫の庄が遠く藤原氏の荘園でありました◇鑑み荘八幡神社と三度改称せられ近郷の人々より貫の大宮様と尊称せられつゝ明治七年六月九日には郷社に昇格し明治四十年三月二十日には神饌幣帛料供進神社に指定せられました

(案内板より)
メモ 旧郷社。
境内の巨石、「鈴石」は数万年前阿蘇山が大噴火した時に飛んできたそうです。
また、豊前北部にはほとんどない「はじめ」型本殿狛犬が見られます。非常にユニークな顔をしています。
地図

一の鳥居

猿田彦大神の石碑

二の鳥居

社号標

参道

参道上の狛犬吽形

参道上の狛犬阿形

手水舎

拝殿

本殿

本殿狛犬吽形

本殿狛犬阿形

鈴石。かなり大きいです。

社殿右の若宮社

稲荷神社

御旅所

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