神社名 東大野八幡神社
鎮座地 福岡県北九州市小倉南区母原55
由緒等 公式サイト

御祭神 八幡大神(応神天皇・神功皇后・比売大神)
由緒
天智天皇五年郷原の大野山頂に降臨・寛文七年花枝山に勧請し東大野八幡宮と称す
明治五年郷社となる
御神徳・日本の文化、学問興隆、母子神信仰(慈愛・家内安全)交通安全、その他
(案内板より)
メモ 旧郷社。国道322号線沿いに鎮座します。
この辺りでは金を産出するため比較的裕福な地域であったようで、本殿の豪華さにもそのことが反映されています。
初代小倉藩主細川忠興公が奉納した狛犬もあります。
地図

社頭

社号標

一の鳥居

二の鳥居

二の鳥居手前のの狛犬吽形

二の鳥居手前のの狛犬阿形

長い参道

手水舎

手水舎近くの狛犬吽形

手水舎近くの狛犬阿形

拝殿

拝殿

本殿

本殿

細川忠興公奉納の狛犬吽形

細川忠興公奉納の狛犬阿形

社殿全景

護國神社

護國神社社殿全景

百太夫社
祭神 猿田毘古大神 大山祗神(花枝生の守護神を合祀) 大己貴神(天疫社の薬神を合祀)
由緒
当神社は聖武天皇天平八年(七三七)新羅の国より悪病(痘瘡)が九州に伝り、日本中に流行し死亡する者多く、人々困窮の極に達した時、悪病平癒の神として高津尾の大野山頂に祀られ、寛文七年(一六六八)東大野八幡宮を当地(花枝山)に勧請の時、現地に遷祀された。
百太夫の神は気の神(病気平癒)・興玉神(命を呼び戻す)・白鬚神(不老長寿)幸の神(道に踏み迷の時にその惑を晴す)とも呼ばれ、千変万化の神なる故に御形を百体に現わし、広大なる御神徳を蒙る為に百太夫と称された。
古来より悪病平癒・小児長寿・蛭子(水子)護の神として庶民の崇敬篤く広範囲に亘り信望者多く、百日願をかけて御守護を頂いた(お百度参りの始めなり)

大日社

子宝・子授けにご利益があるとされる御神木
「この御神木は杉の木としては珍しく、幹が何通りにも分かれています。その為、古くから子孫繁栄の象徴とされ、子宝の御神徳を戴けると言われています。子宝成就を願われる方は、御神木に触られて下さい。」

猿田彦大神

TOPへ