神社名 | 宗像神社 |
鎮座地 | 福岡県北九州市小倉南区上曽根5-8-16 |
宗像神社御由緒
大治三年(一一二八年)八月十四日、筑前国宗像神社(現宗像大社)より御分霊を現在地に勧請した。昔時は、正月田・二月田・十月田と一町一反余りの祭田を有していた。慶長十一年(一六〇七年)、時の城主細川忠興公が企救郡貫村東方海面の開拓にあたり、忠興公が篤く信仰を寄せていた筑前国宗像宮の勧請ということで、開拓に先立ちて神殿・幣殿・拝殿をご造営された。
元和六年(一六二一年)細川忠興公間島沖を航海中、難風にあった時、船上より当社へ御神願なされたところ、その風が治まり、無事小倉へと御帰城することができた。御机上後、直ちに御社に参詣ありて、当社の御神威に感謝され、その後神殿・拝殿の御修営をされ、同時に当社に九曜の紋をお授けになられた。さらに、領主の御趣意をもってこれより後の社主に御目見えを仰せつかった。そして当社は祭田を多く有していたが、産子がなかったため中曽根村荒神社産子三曽根を社領の代わりとして産子に仰せつかった。その後、忠興公より忠利公まで幾度に渡り当社に参詣があり、例大祭日には城主が直々に参詣されたという。
明治十三年事代主神を合祀した。(エビスさまを代表する神で、豊漁・商工業繁栄の守護神です。)
また御祭神は、天照大御神のお産みになられた三柱の姫神様であり、神代の昔、皇孫ニニギの命の「天孫降臨」に先立ちて九州は宗像の地に天降られた神々であり、現宗像大社と同一祭神であります。三姫神の御神徳は、国家鎮護、海上交通・道中安全、ことに君臣の道、人倫道徳、学芸、生業の「道」を司ります。日本書紀の中には「汝三神よろしく道の中に降りまして、天孫を助け奉り、天孫に斎かれよ」との神勅がみえ、「人を助ければ、人に助けられる」という互譲互助の精神を教えられるものであり、古き昔よりたくさんの人々に崇敬されてきました。
また、宗像の神様を御祭神としている神社は全国に六二〇〇社を数える事ができ、その中でも宗像の社名を称している神社は九〇社余りしかなく、当神社はその中の一つであります。また、筑前国宗像大社より直接御分霊を勧請した神社は全国にも数社しかなくそ(の)うちの一社でもあります。 (由緒書より) |
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メモ | 筑前宗像大社より直接分霊を勧請した神社で、周防灘の航海安全を司る神社です。 |
地図 |