神社名 | 瑜伽神社 |
鎮座地 | 福岡県北九州市小倉北区船場町6-17 |
由緒等 |
瑜伽神社御由緒 一、御祭神 倉稲魂命 大国主命 事代主命 一、御由緒 北九州市児御蔵北区船場町鎮座の瑜伽神社は遠く奈良朝、元正天皇の御代、養老二年の創祀と云われ、御社名を蛭子神社と申して居りました。 此の地は紫川と神岳川の合流点にあり、小倉の街の発生の地でもあり、規矩の高浜浦と呼ばれたところであります。 奈良朝以来、大宰府を結ぶ宿駅として、交通の要地であり、万葉にある 豊国の規矩の長浜行きくらし 日の暮れぬれは妹をしそ思ふ の歌によつても明らかであります。 此の地は当時規矩の高浜浦として漁民の居住するところで漁民及び旅人の守護神として蛭子神社が祀られ土地の崇敬を集めておりました。後、仏教の伝来に伴い全国各地に寺院の建立を見るに至り、慶長年中、細川忠興公小倉城改修の砌、高浜浦は現在の長浜の地に移転することゝなり、当社に隣接して蓮華院なる寺院が建立され、寺院の境内神社の如き形となり又、稲荷信仰と結びついて、倉稲魂命を合祀し、社名も瑜伽神社と変わりました。 其の後、明治六年神仏分離の際、一社として独立し現在に及んで居ります。創祀以来、祭祀は厳修され、春秋二季の祭典は今日に至るまで絶ゆることなく続いて居ります。然し太平洋戦争の終末と共に人心混乱いたしまして、この由緒ある神社も次第に荒廃しこの侭に放置するに忍びない現状に至りましたので町内居住民を主体として崇敬者相寄り寄進を仰ぎ、昭和四十六年に社殿並びに拝殿を完全修復し今日に至って居ります。 (案内板より) |
メモ | 小倉の繁華街ど真ん中に鎮座します。何故か若者がよく弁当を食べている姿をよく見かけます。落ち着くんでしょうか?地図上は大黒神社と表示されています。 |
地図 |